越谷を創る伝統の技(こしがや伝統の職人芸)
- 古くから街道の宿場町としても栄えた越谷には、江戸時代にさまざまな手工芸品が生まれ、その品々は江戸において評判となり、やがては全国へとその名を広めていきました。その後、時代の変遷の中、越谷の手工芸品はその伝統を脈々と受け継ぎ、今なお、手作りならではの良さをもって、越谷の特産品として多くの人々に愛され続けています。
越谷だるま
- だるまは、江戸時代の中期「起きあがり小法師」という縁起物に中国禅僧の祖、達磨大師を描いたのが始まりといわれ、子供の疱瘡除け・開運・厄除け・商売繁盛の縁起ものとして長く親しまれてきました。越谷近辺で生産されるだるまは、年間50万個を数え、川崎大師・柴又帝釈天など関東一円をはじめとして、北海道から九州まで広く「越谷だるま」の名で親しまれています。(越谷市だるま組合)
越谷ひな人形
- 越谷の人形作りは、今からおよそ230年前の安永年間、越谷新町の会田佐右衛門が江戸の十軒店でひな人形のつくり方を学び、越谷で製作をしたのが始まりといわれています。越谷ひな人形は、昭和五十八年十二月に越谷よろい、かぶとは平成八年四月に埼玉県の伝統工芸品として指定されております。現在も越谷びなは、その気品あふれた優雅な顔立ちで高く評価されており、胴柄・頭・手足などが、越谷で製作されています。(越谷ひな人形組合)
越谷桐箱
- 文化年間、江戸の流行作家式亭三馬が「江戸の水」という化粧水を作りましたガラスのびんにつめられ、桐の小箱に入ったこの「江戸の水」は、大ヒット商品となり、式亭三馬に大きな富をもらしたといいます。このとき使われていた桐箱のほとんどが、越谷の大泊で作られたもので、以来、170年の歴史をもって、その製造技術が伝えられてきました。今でも、陶磁器・掛軸用の箱をはじめとして、茶筒や菓子皿等の小物にもその技術と伝統が生きています。(越谷桐箱組合)
越谷手焼せんべい
- 江戸時代初期より越谷の農家では、家庭用として、やき米がつくられていましたが、これが「越谷せんべい」のルーツといわれています。のちに、茶店の売り物用として、良質な越谷米と野田のしょう油を用いるようになり、パリッと焼きあげられた手焼きせんべいが、奥州街道の名物となりました。江戸の頃より変わらず、今も一枚一枚丹念に焼きあげられる越谷せんべいは、こうばしい、しょう油の香りと、お米の風味を伝え続けています。(越谷米菓組合)
越谷桐たんす
- 越谷市は江戸時代の初期より、江戸タンスの産地として全国的に有名で、その職人技術を長く伝え続けてきました。埼玉県東部地区(越谷市・岩槻市・春日部市・庄和町)産の江戸タンスは、加茂タンスに次いで全国2位の生産量があり、今なお職人技術をもって、木の選別、木取りから仕上げまでを一貫して生産する個別生産方式で作られています。その品質の良さは、全国一の評価を受け、通商産業大臣から伝統的手工芸品の指定を受けました。(越谷桐たんす組合)





